平成24年度の仕事を振り返って・・・って、振り返れれるんかい!!この馬鹿ブロガーは!!

まいどおなじみの仕事ネタです。(と言っても通算5回もいっていないのですが・・・)

平成24年度もあと1週間あまりで終わります。長いようで長かった1年間でした。
今回ほど、まじめに現実逃避したいと思ったことはありませんでした。


今をさかのぼること20年前かな?平成5年(1993年)に今の職場へ就職しました。
当時は、新井市(現、妙高市)・板倉町(現、上越市板倉区)・中郷村(現、上越市中郷区)・妙高村(現、妙高市)・妙高高原町(現、妙高市)のエリアを担当する組合でした。ちなみにJAではありません。県職員ではありません。公務員ではありません。某団体職員です。

他にも
 ①上越市清里村(現、上越市清里区)・三和村(現、上越市三和区)のエリアを担当する組合
 ②柿崎町(現、上越市柿崎区)・大潟町(現、上越市大潟区)・頸城村(現、上越市頸城区)・吉川町(現、上越市吉川区)のエリアを担当する組合
 ③糸魚川市・名立町(現、上越市名立区)・能生町(現、糸魚川市)・青海町(現、糸魚川市)のエリアを担当する組合
 ④安塚町(現、上越市安塚区)・浦川原村(現、上越市浦川原区)・松代町(現、十日町市)・松之山町(現、十日町市)・大島村(現、上越市大島区)・牧村(現、上越市牧区)のエリアを担当する一部事務組合

・・・・がありました。それらも以前は市町村が業務を担当もしくは小さな組合などが合併しての形でした。


自分が就職したその年は冷害で、翌年は干害で、その次の年が水害(7.11水害)と3年連続大災害が続いた年でした。自分がいた組合では、「災害を呼ぶ男」とか「歩く大災害製造マシーン」とかいろいろ言われました。


年々農業情勢が厳しく、離農者も激しく・・・平成11年にこれらの組合が合併して上越一円の組合となりました。(ここまで書くと農業者は、わかるかも知れません。あと○とすさんもね)

平成14年度までは、上越本所と他支所(仮称)でしたが、平成15年度に新本所が完成(実際は市の建物と土地を購入、改築しただけ)と同時に自分のあった新井の支所と吉川にあった支所が本所に統合しました。

初めて環境が変わりました。結構、慣れなくて、夜の12時越えなんて2週間連続やったことがあります。翌日の朝5時まで仕事をして、アパートに戻りシャワーを浴びてまた出勤なんてことは今でも思い出に残ります。それだけやりがいがあったのですが・・・


さらに時が流れ、市町村合併がありました。そして、旧松代町と旧松之山町十日町市となり組合のエリアを変更することになりました。平成18年にその2地域は隣の組合が管轄し、大島にあった支所が本所に統合されました。その前に旧名立町が上越市になったので、糸魚川の支所管轄から本所管轄に変わりました。

平成24年度・・・あれから時が流れ、人も変わりました。世代交代と言われていますが、正にそのとおりです。


さて本題に入ります。平成24年度、自分は初めて総務しかも企画広報の係となりました。担当が広報と苦手以上の合わない仕事になりました。

結果
 ①広報紙の余剰部数が1,000部追加されました。(発注部数は、23年度と同じ)
 ②締め切り遅延が多すぎ
 ③ついに11月号の発行日を4日遅れました。
 ④初校→再校→三校と差し替えや修正を繰り返したため、印刷業者にかなり苦労をかけました。
  (営業のM氏が最初は笑顔でしたが、最近は引きつった顔をするようになった)
 ⑤苦情はがきが多くなった。
  (次号で返答したが、新たな苦情を生んだ)
 
 →平成11年合併時の広報の積み重ねていた実績(信用などを含む)が吹っ飛び、いわゆる黒歴史になってしまった。(いやそんなレベルをとうに超えている)


ちなみに現在4月8日発行の4月号の初校が戻ってきました。各管理職・各課の広報委員から「どうやって修正していいかわからん!!」と言われ、すべてのページが修正の赤で真っ赤になっています。
(ああ、また営業のM氏が落ち込んだ顔をして、受け取るのだろうな。これでうつにさせたら、自分の責任だな・・・今から誤ります。ごめんなさい)

全ては自分が悪いのさ。雑誌で言うと編集長に値する立場ですから・・・
(一般雑誌だと、下に各部門の編集担当、上には編集人がいるのですが、何せ小さな組合ですから・・・)

そう思うと、新潟の組合はすごいです。毎月発行、1年のスケジュールを組み、毎月会議を開催(その内容は、原稿のチェックらしい。本当の編集会議)をしています。自分がいる組合もほぼ毎月会議を行って伊いますが、今回発行される広報紙の内容及び記事の担当、また連載記事の取材担当を決める会議です。毎回、誰が担当するのかで各委員に迷惑をかけています。(4月号は、12月の会議で連載物の担当を決めたのですが、記事が間に合ったのが入稿時)
新潟の組合とは、雲泥の差なんてもんじゃない。お互いの事務所の距離以上に離れすぎているくらいレベルが違います。


兄に言わせると「普通はくびレベル。むしろ100回以上は解雇にしても足りない」と言います。そう思うと、辛いんだよね。まあ、全て自分が悪いのですが・・・(結果を出していないので、この言葉もむなしくなるだけ)


無理にお願いして
 
 ①広報の記事をボイコット
 ②課自体が広報協力をボイコット
 
 される可能性が高かったので、ひたすら頭を下げるしかない。変に修正したら①②となる・・・
(各課の広報委員もむしろそうしたいと思っている雰囲気があります)


もう無理です。気がおかしくなるか(すでに究極・至極レベルに到達しているが、さらに超える)変な犯罪を犯すかもしれないと思ったことが何十回もあります。

・・・という事を「自己申告書」に記載したいくらいでした。(実際書いたら、書き直しされる)

・・・結果、平成25年度変わりなし。「もう限界だ!!」と思い失踪も考えたのですが、『身元保証書』に2名署名してもらったので変なことはできない。(まあ、自分からはする気もない・・・今のところ)

だけど、自信がないな・・・


とにかく4月号を何とか発行できるようにしよう。それからあとは考えよう。


つくづく、自分自身の情けなさ・だらしなさ・別の意味での手遅れ余命○分・・ですね。
(いろいろフォローしていただいている職場の皆さんには申し訳ない)


はあ・・・と考える日々が平成25年度も続きます。それでは・・・


※普通なら、こんな事はブログで投稿するネタではありません。
 でも、もう職場以外の人で広報に詳しい人からアドヴァイスを頂かなきゃいけないくらいまで追い込まれています。誰でもいいから助けてほしいとまじめに思いました。(完全に自分の頭の中が粉砕されているな)










            Written by 短髪豚野郎!!