『あゞ、野麦峠』に魅せられて・その3「みねさんが眠る、角川へ」



そして「高山市街中心部」へ着き、ついでにJR高山駅へ着きました↓
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車両がありました。↓
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これは「特急ワイドビューひだ」ですね。


しかし今回は、「非鉄ネタ」です。鉄道は必要ありません・・・・と思っていました。

近くに「飛騨路懐古写真展」の看板があり、そこに「高山本線」の歴史がありました↓
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まずは、岐阜県側からの歴史です↓
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次は、富山県側からの歴史です↓
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そして、昭和6年に2つの路線が繋がって、「高山本線」全線開通になりました↓
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実は、この「高山本線」の全線開通をもって、女工の「野麦峠」越えは無くなりました。
岡谷の工場へ行くには、高山駅から列車で岐阜→名古屋と続き、それから「中央本線」で岡谷駅へ行くようになったためでした。
(その後、岡谷の工場の縮小や岐阜へ製糸工場ができたので、ほとんどの飛騨の女工は岐阜の工場へ移ったとか。これをもって「野麦峠」の役目が終わったのでした)



それから、国道41号線を走り「飛騨古川」へ。途中、神岡方面へ行く41号線と河合へ行く360号線がありますが、角川集落へ行くのは360号線です。ですからそこから国道360号線に入って、角川集落を目指します。


そして、JR角川駅に着きました↓
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高山本線の全面復旧まで「簡易委託駅」でしたが、復旧後は「無人駅」になりました。
(以前、猪谷~角川までは代行バスが走っていた。自分も乗りました)

しかし、ここは普通列車しか停まりません。そして・・・↓
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1日上下線とも10本もないなんて・・・orz

高山線不通の時はここで買い物して行きました。現在も営業しています↓
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今は「飛騨市」になりましたが、以前のこの地域は「河合村」でした。


そして、「政井みね」さんが眠る『専勝寺』へ。(インターネットに情報がありました)↓
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ここから入ります。

寺の前には、このように大きく「専勝寺」とあります。(浄土真宗本願寺派ですね)↓
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この本堂の裏に「みねさん」の墓があります。


裏に行くと、「親鸞聖人」の像があります↓
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※ちなみに私は「真宗大谷派」なので親近感がわきました。

そして、その像が見守るように「政井みね」さんの墓がありました↓
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左側については、兄の辰次郎さんが昭和34年に建てました↓
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これが「みねさん」の墓です。(映画化記念に案内板が設置されたみたいです)

※この撮影後、手を合わせお参りしました。


現在は、みねさんの生家は無くなっているとの事でした。墓の管理も地元の人が行うのか?親戚が行っているのか?はわかりませんが、きれいに管理していました。
野麦峠」のように大々的に宣伝しているのと違い、ひっそりしていました。安らかに眠ってほしいとの思いかも知れません。(インターネットで調べなければ、わからなかった)

兄の辰次郎さんは、角川から岡谷の工場まで不眠不休で2日間で行きました。一刻でも早く病気のみねさんを引き取るために・・・。松本の病院へ入院をみねさんに進めたが「故郷へ戻りたい」との話だったので、みねさんを背負い故郷へ歩いていきました。しかし、「野麦峠」でみねさんは息をひきとりました。
その後、人目を避けて夜通し歩いて数日で角川へ着いたとの事でした。

それから、時代が流れて昭和40年代。高度経済成長時代を迎えて、人々の生活も豊かになりました。しかし、昔は日本が貧しかった。だがこのままでは、それすら忘れられてしまう。だからこそ、山本茂実さんは製糸工場の女工さんだった明治生まれのお年寄り達に数年の時間をかけて聞き取り調査し、それをまとめた物を昭和43年に朝日新聞社から『あゞ、野麦峠』を出版されました。
当時は大ベストセラーになり、昭和54年には大竹しのぶさん主演で映画化されました。


結構、自分の主観(脳内ソース全開しすぎ・・・)が多いですが、昔の事を後世に残すのは大事な事だと思います。かつて、とある漫画家が「日本の資金を使って今の韓国経済があるのだが、韓国の国民はどうやって近代化したか教えてもらっていないし、あえて隠しているのだ!!」と言っていました。また、「今の豊かな日本が昔からあるような錯覚を日本人はもっている!!」とも言っていました。

今、「蟹工船」と言う小説がベストセラーになっています。この作品は戦前に出版されたものです。僕は『あゞ、野麦峠』の方が好きですが・・・(事実と創作では重みが違うと自分は思っています)
今の労働条件の悪化しつつある社会だからこそ、このような作品を見直し始めたと思います。



自分にとって今回の旅は、以前の「旧 神岡鉄道」跡を回るついでに「野麦峠」によった程度でした。
それからインターネットでいろいろ調べる内にはまってしまったような気がします。

とりあえず、これをもって自分での「野麦峠」に関する件は終了したいと思います。


話は戻りますが、みねさんの墓をお参りした後は、ひらすら富山県へ行きそこから高速で帰りました。
とりあえず、これで終了しようと思いましたが、結構こぼれ話もありましたので・・・

最後にそれらをまとめた「おまけ・こぼれ話です」でお送りいたします。それでは・・・



            Written by トンマノマント