『あゞ、野麦峠』に魅せられて・その2「野麦峠を降りて」
前回は、「野麦峠」及びそれにまつわる話でした。
とりあえず、野麦峠を降りようと思いましたが、その前に周辺施設でも・・・
まず、「お助け小屋」でも↓
前回もそうでしたが、営業している雰囲気ではなかったです。
前回もそうでしたが、営業している雰囲気ではなかったです。
「お助け小屋」から撮影、時間帯(18時撮影)かも知れませんが寂しいですね↓
奥にあるのは自分の車です。
奥にあるのは自分の車です。
「みねの茶屋」ですが・・・↓
今年は営業しているのでしょうか?
今年は営業しているのでしょうか?
「旧 野麦街道」の峠側からの入口です↓
ここから前回で紹介したところへ出ます。
ここから前回で紹介したところへ出ます。
その案内版です↓
こんな感じです。
こんな感じです。
ここに「水準点」があります。(一番高いところらしいのですが・・)↓
これが「水準点」です。
(なお、ここでみねさんが亡くなった説がありますが、ここからでは野麦集落は見えない)
これが「水準点」です。
(なお、ここでみねさんが亡くなった説がありますが、ここからでは野麦集落は見えない)
・・・でいつの間にか「野麦集落」へ着いていました。(何かの施設みたいですが・・)↓
結構、小さな集落です。
結構、小さな集落です。
そして、「野麦集落」を出ました↓
さらに進んだら、見えなくなりました。
亡くなったみねさんを自分の背中に乗せて歩いていった兄の辰次郎さんが、どのような気持ちで「野麦」を離れたのでしょうか? 今では、わかるすべはありません。
さらに進んだら、見えなくなりました。
亡くなったみねさんを自分の背中に乗せて歩いていった兄の辰次郎さんが、どのような気持ちで「野麦」を離れたのでしょうか? 今では、わかるすべはありません。
しばらく道なりに進みましたが、次の集落らしいところがなかなか見つかりません。
ナビを見てみると・・・「寺坂峠」とあります↓
つまり「野麦集落」は峠と峠に挟まれた集落とわかりました。(集落の過疎化が進んでいるとの事でした)
ナビを見てみると・・・「寺坂峠」とあります↓
つまり「野麦集落」は峠と峠に挟まれた集落とわかりました。(集落の過疎化が進んでいるとの事でした)
その「寺坂峠」の場所です↓
何もありませんでした。「看板」などもありませんでした。(ナビが無ければ、そのまま通過していました)
何もありませんでした。「看板」などもありませんでした。(ナビが無ければ、そのまま通過していました)
「寺坂峠」から出てしばらくしてナビを見てみました↓
野麦集落の次の集落に着きました。
野麦集落の次の集落に着きました。
そのまま361号を走ると「美女峠」へ向かいます↓
しばらく行くとひらけたところに出ました。「美女高原」とありますが・・・↓
これを見る限りでは、この周辺全体が「美女峠」のような感じでした。(ナビも「美女峠」は検索できなかった)
これを見る限りでは、この周辺全体が「美女峠」のような感じでした。(ナビも「美女峠」は検索できなかった)
あとは下りが続くだけです↓
・・・とこのように「急カーブ」と「細い道」が続いていました。
・・・とこのように「急カーブ」と「細い道」が続いていました。
しばらくしてゲートが見えました↓
ここで「美女峠」は終わりみたいです。
ここで「美女峠」は終わりみたいです。
・・・と言うわけで、兄・辰次郎さんがみねさんを背負っていったルートを車で走ってみました。
その後、高山から古川(飛騨古川)、そして故郷の「角川集落」へ続きます。
その後、高山から古川(飛騨古川)、そして故郷の「角川集落」へ続きます。
それについては「その3・みねさんが眠る、角川へ」でお送りいたします。それでは・・・
Written by トンマノマント |