特急あさまの思い出


この列車が消滅してもう10年になります。
特急あさま号の記憶と言えば、中学時代に科学部に所属していました。中学3年の時に『日本学生科学賞』がありわが科学部は「文部大臣賞」(賞的には2番目、1番目は「総理大臣賞」)を受賞しました。
そして冬のさなか、私を含む3名の部員が受賞式に出席するため上京しました。その時に、行きも帰りも途中の駅で長く停車していたのを覚えています。「なんで同じところで長く停まっているのだろうね?」と言っていました。そこがあの「横川~軽井沢」間である事を知らず・・・・

それから、就職前の1993年3月に父と東京・神奈川へ旅行するため、あさまに乗りました。
軽井沢へ到着した時に初めて「横川~軽井沢」間の特殊な事情がわかりました。(このとき、間近でEF63との連結シーンを見ることができなかったのが心残りです)そのまま、横川へ。またEF63を切り離して上野まで走りました。
親戚が川崎だったので、何故か京浜東北線に乗って川崎まで、川崎から京浜急行で親戚のいる川崎大師まで行きました。
次の日、鎌倉までいってバス観光→帰りは江ノ電に乗ってもどり→京浜急行で親戚まで戻った様なきがします。(古い記憶なのでもしかしたら間違っているかも・・・)
帰りは京浜東北線などを使って、上野まで→上野からあさまで新井へ帰りました。

ちょうどその時、TBSドラマ「高校教師」が放映されていて、最終回に主人公が新潟へ逃げる時に乗ったのも「特急あさま号」でした。(最近、DVDがでたのでレンタルで見ました。よく見てみたらこのドラマ、結構電車が映っていたな)

・・・それが、僕にとって最後の「特急あさま号」でした。

1997年10月1日に『長野行き新幹線』が開業して、信越本線もガラリと変わりました。(今更説明はいらないと思います)

1998年に出張で東京へ行く用事があったので、その長野行き新幹線に乗りました。
今だったら、直江津始発は189系車両の「妙高2号」ですが、当時は「115系長野色」普通電車でした。(結構つかれた)
やっと、新幹線に乗り東京へ行きましたが、あの「特急あさま」に乗った時の感激が感じられなかった。やはり、早く東京へ着くための車両だと思いました。(それが、当たり前だった)
帰りは長野まで新幹線でしたが、長野からは「快速信越リレー妙高号」に乗りました。久しぶりの189系でしたが、「鉄道唱歌」が流れると「昔は上野まで行ったんだな」としみじみ感じました。


こんな僕でしたが、なんと1997年の廃止まで「特別急行電車白山号(まあ特急白山ですが、車掌がよくこういっていたので・・・)」に一度も乗る事はありませんでした。直江津まで「あさま号」が走っているので、あえて白山に乗る事はなかったのです。(結局、乗ったのは昨年8月の『リバイバル白山』で金沢~長野のみ)
もったいなかったですね。


とりあえず、今日はここまで・・・・


※写真は昨年8月に運転した「リバイバル白山」です。直江津駅停車中(記事と関係ないんじゃ・・・)
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